日本基督教団 西神戸教会月報
2017年9月号

☆わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。
(コリントの信徒への手紙一1章10節)

☆あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っている…(12節)

☆キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるため…(17節)

 9月を迎えて、暑い夏も過ぎ去り、朝晩が涼しくなり、秋の気配を感じるようになりました。時の流れと共に、巡り来る季節が与えられることを感謝します。しかし、残念ながら、人の奢りと高ぶりによって、神様が創造された自然体系が崩れ、多くの大きな自然災害が生じるようになりました。わたしたち人間の罪が招いた桔果なので、わたしたちにはどうすることもできません。人は災害の中では、助け合いつつ、生きる道しか残されていないのです。人と人との関わりの根本が問われているのです。神が与えてくださっているわたしたちの大切な命の営みは、神様の思いに従ってこそ、豊かなものとなるのです。

 パウロは、コリントの教会において、争いがあるという報告を受け、この手紙を記しています。その原因は、教会に集う信仰者たちの導き手や信頼する人や従う人がそれぞれ異なることにより、主義主張や思いが違ってしまっていたことです。今の教会でもあり得ることです。キリストを信じる群れでありながら、人を見てしまい、牧師の善し悪しを判断したり、一つの教会に複数の牧師がおり、意見や行い、教えが異なる場合、誰に従う、誰の言うこと聞く、誰の側につくということが、話題となり、分裂が起こってしまうのです。本来教会は、様々な人の集うところであり、集ってよい所ですので、性別はもちろん、年齢・出身地・肌の色・言語等の違いがあったとしても、キリストの愛によって、それを越えて一つの群れとなることができるはずなのです。ここでパウロは、"勝手なことを言わず、仲たがいせず"と告げて、逆に"心を一つにし、思いを一つにして、固く結び合いなさい。" と大切なことを記しています。仲たがいの原因の一部として、"パウロにつく"と言うパウロ自らのことをとりあげる者があることを受け、"わたしの名によって洗礼を受けたなどと、だれも言えないはずです。" と語るのです。パウロは、自分に従う者を求めたのではなく、キリストの十字架と復活が宣べ伝えられ、すべての人が神様の救いを知り、キリストの名の下で集められ、自分本位な思いを捨て、心を一つにして、神の業を行うことを大切にしたのです。それは、パウロだけでなく、アポロも、ケファも、キリストも同じことを思い目指し、人々に語り続けてきたのです。教会の活動が、又働きが、人の思いによってばらばらになることなく、神様の愛によって、教会の群れが一つとなることを求めているのです。どんなに指導者が優れていようとも、キリストを引き裂き、分裂をもたらすことは許されないのです。だからこそパウロは、神様から遣わされた者として、自らの力でなく、神様から与えられた力により、語り、働きをなし続けたのです。
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