日本基督教団 西神戸教会月報
2017年12月号

☆慰めよ、わたしの民を慰めよと 
 あなたたちの神は言われる.                  
  (イザヤ書40章1節)

☆呼びかける声がある。
 主のために、荒れ野に進を備え
 わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。
  (同3節)

☆見よ、主なる神。
 彼は力を帯びて来られ
 御腕をもって統治される。
 見よ。主のかち得られたものは御もとに従い
 主の働きの実りは御前を進む。
  (同10節)

 12月に入り、本格的な冬の寒さを感じつつ、アドベントの期間を迎え、クリスマスの備えの時が与えられています。暗く冷たい世に神様は、御子イエスを遣わされました。しかもその誕生(降誕)の出来事は、馬小屋の中で起こり、生まれたばかりの乳飲み子は飼い葉桶の中に寝かされました。人の思いを越えた神様の計り知れない愛と恵みの業を受け止め、今のときを過ごしたいと思います。

 救い主(メシア)の誕生は、困難の中を歩んできた民が旧約時代から預言されていたものでした。神様は、様々な苦しみや困難の中を歩む民に、いつも救いの道を用意してくださっていました。しかし、民はその言葉を受け入れられず、滅びの道を歩んでしまいました。せっかく神様がより良き最善の歩みを教えてくださっているのに、その思いに気づけず、自分の信ずる歩みに向かってしまうのです。 

 イザヤ書は、闇に希望の光を与えてくれる神様の言葉が語られています。預言者を通して語られる神様からの警告を無視し、預言者を退け、神様に背き続けたユダ王国は、バビロン帝国によって滅ぼされ、バビロンへ連れて行かれて捕囚の民として歩むこととなりました。しかし、それで終わるのではなく、長い捕囚の末に解放され、故郷に帰ることが出来ました。帰還できたという大きな喜びがありましたが、その一方で、荒れ果てた地を目の前にして、人々は疲れ果て、気力や意欲を失い、希望も見い出せず、暗闇に閉ざされてしまいました。神に逆らい、背いて暗闇のただ中にある民を神は見捨てる事なく、希望の光を与えてくださるのです。神様は、「慰めよ、わたしの民を慰めよ」と語りかけられています。その慰めは、今、目の前に広がる「荒れ野」「荒れ地」を神様のために切り拓いて道を整えていくようにと呼びかけられるのです。今の暗闇に、荒廃の地のただ中に、神様が臨んでくださり、共に歩んでくださることを信じて、その慰めの言葉に強められて歩み出すことが力となるのです。苦難の中にあって、疲れ果て、弱く小さな者とされた民と再び神様が共に歩んでくださる約束をしてくださるのです。神に逆らい背いて招いた苦しみの現実に、「主なる神」は「力を帯びて来られ」「統治」されるのです。 「主の働きの実り」を様々なことを通して人々は知らされるのです。捕囚当時の民が希望なき中で、神の言葉と業によって、希望を得て歩み出した様に、今迎えようとしているクリスマスが、暗さと弱さと貧しさのただ中に与えられた希望と喜びの出来事であることに感謝し歩みましょう。
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