日本基督教団 西神戸教会月報
2018年1月号
☆イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。おびただしい群衆が、そばに集まって来た。そこでイエスは舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた。 (マルコによる福音書4章1節) ☆「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は 道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐに芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」 (マルコによる福音書4章3~8節) 2018年という新しい年が与えられ、今という大切な時を生かされていることに心より感謝です。2017年の締めくくりは、12月の初めよりアドベントに入り、クリスマスシーズンを存分に味わい、忙しい日々ではありながらも、充実した時が与えられました。教会も幼稚園もとても大切な時を過ごして歩みました。それぞれの心に馬小屋の飼い葉桶の中に寝かされたイエス様の姿が刻まれていることを心より願います。 イエス様の誕生という神様の愛がこの世の人に見える形で現された出来事は、人に何をもたらしたのでしょうか。今もなお、イエスが誕生した時代と変わる事なく、この世は愛に欠け、権威・権力・財力等にものを言わせ、弱く小さくされた人々をさらに抑圧し、多くのものを搾取し、苦しみや悲しみや痛みを負わせています。そんな世であるからこそ、クリスマスの喜びを与えられた者として、わたしたちが自らの生活の場、与えられている所で、愛溢れる世界を創り出してゆくことが必要なのです。何事においても、一人ひとりの受け止め方次第です。その一つとしてクリスマスの出来事もあります。この世の価値観による喜びや快楽だけのためのクリスマスなら、世の中は変わらないでしょう。その日・その時を待望し、本当の喜びが与えられた人に心を留めるならば、この世はきっと変えられていくことでしょう。 さて、ここで与えられている"「種を蒔く人」のたとえ"の箇所において、語られている一つのことは、種を蒔く人は、様々な場所で種を蒔きます。ここでは蒔くというより、種を落としました。その異なる地に落ちた種の育ち方は、同じ種が蒔かれていても当然違います。この異なりは非常に大きいのです。それぞれの土地は、そのままではどうしようもないのですが、耕し開墾することで良い土地になります。道端や石地や茨が邪魔するようなところでは、当然育ちません。そのままであるならば、育たないのが分かっているので蒔く必要はありません。種を蒔く人は、当然少しでも多くの収穫を得るために一生懸命に種を蒔きます。そして、種を蒔いた人は、芽が出て育ちはじめたならば、大切に扱って、愛情を注ぎ見守り、育てます。わたしたちは、神様の思いや言葉を受け入れる土地として、心を耕し柔らかくして備えることが大切です。この世のものに支配され、様々なものによって妨げられて神様の言葉やみ心が弾き出されてはいないでしょうか。わたしたちの教会は、神戸という大切な意味を持つ場所に存在しています。一人ひとりが、阪神・淡路大震災から与えられた大切な事柄に心を寄せ、心を耕し、神様のみ言葉とみ心を受け止め歩めることを祈ります。 |
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