日本基督教団 西神戸教会月報
2000年11月号

  『兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起してみなさい。
   人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、
   能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけではありません。』
 
                                 (I コリント 1章26節)

 パウロは、自らが召された時のことを思いつつ、人々に対し、「弱さ以外に誇るつもりはありません。」と語り、キリストの力は、私たちの弱さの中でこそ発揮されることを伝えます。(IIコリント12:1〜10)神の選びに人の側の資格や条件はありません。人がその選びに応えて歩みだし、自分の力に頼らず、神の力を頼みとし、自らの弱さ、欠け、罪の中で神の恵みに満たされ生きることが大切なのです。

 私たちは、世の評価や価値観に振り回され、様々な束縛の中、神が与えて下さっている恵みを蔑ろにしてしまっているのです。そして、その結果、生きることに、或いは、世の中や自分自身に絶望(失望)してしまうのです。信仰とは、今生かされているという喜びに満たされ、どんな道であったとしても、そこに神の恵みを見いだし歩み行くことの出来る力であります。

 敬和学園校長の榎本栄次さんは、札幌での牧師時代に、非行を重ねる我が子の将来を心配して相談に来た母親に「大丈夫ですよ。ぼくみたいな悪だった人間が、こうして曲がりなりにも牧師になっているんですからね。」と語られました。その温かい笑顔と言葉で母と子は、心の底から安心を得たそうです。榎本さんは、22年間の牧会生活を振り返り、「神のご計画の中、曲がりながら流れる川のような歩みをし、神の存在と導きを知らされた。」と語っておられます。


                ”川は曲がりながらも”

  私は曲がっているのが好きだ  曲がっているほうがいい
  そこにはやさしさがあるから   川は曲がりながら大海に入る
  あの里この村を潤しながら    まっすぐだったら洪水になる
  真理だってまっすぐじゃない   曲がりくねって一つのでき事になるのだ

                   (『川は曲がりながらも』榎本栄次著より)
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