日本基督教団 西神戸教会月報
2000年12月号

「夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。」    (マタイによる福音書 1章19節)

 12月に入り、いよいよクリスマスシーズンの到来です。街は美しいイルミネーションで飾り付けられ、主イエス・キリストの誕生が華やかに祝われています。しかし、聖書が語るイエスの誕生は、今の世のものとは大きな隔たりがあります。「聖霊によって」イエスを宿したマリアは、決して幸せとは言えませんでした。何故なら、結婚を前に身重になった者に対する世間の風当たりは強く、ひとつ間違えば、石打の刑に処せられる立場にあったからです。夫ヨセフは、その事実の前で「ひそかに縁を切ろう」としていたのです。「正しい人」と呼ばれるヨセフの出来る、最大限の心くばりと神への正しさでありました。しかし、この「正しさ」が神からの「恐れるな」との語りかけによって、新しい局面を迎えました。彼は、世の「正しさ」から解き放たれ、マリアと彼女の重荷全てを受け入れ、共に生きる者となりました。彼を苦しめていた律法や世の価値観等様々な物より解放されて、神の愛によって生きる道へ歩み出したのです。

 イエス・キリストの誕生は、この世に神の愛を示した出来事として聖書は語ります。(ヨハネによる福音3章16節〜,Iヨハネの手紙4章7節〜)この愛によって、人間が新たに生きるものとなったのです。私たちは、今その神の大いなる愛と恵みの中を生かされているにもかかわらず、まだ誤った「正しさ」の中で、人を傷つけ、苦しめ、悲しませ、生命までも奪ってしまっているのです。クリスマスにこそ、様々な枠を越えて、神の愛に生かされる喜びを取り戻したいものです。



      『平和の祈り』 (アシジの聖フランシスコ

 主よ、わたしを平和の道具とさせてください。  わたしにもたらしてください・・
 憎しみあるところに愛を、   罪あるところに赦しを、
 争いのあるところに愛を、    罪のあるところに真理を
  疑いのあるところに信仰を    絶望のあるところに希望を、
  闇のあるところに光を、      悲しみのあるところには喜びを。
  ああ、主よ、わたしにもとめさせてください・・・ 慰められるよりも慰めることを
  理解されるよりも理解することを、  愛されるよりも愛することを。
  人は自分を捨ててこそ、それを受け、   自分を忘れてこそ、自分を見出し、
  赦してこそ、赦され、          死んでこそ、永遠の命に復活するからです。

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