日本基督教団 西神戸教会月報
2001年 4月号
暖かい春を迎え、桜の花びらが風に吹かれ、空を美しく染めています。私(*尾堂拓哉牧師)が昨年まで過ごした真愛幼稚園の園庭には、たくさんの樹木があり、春になるといたるところで新しい生命が芽生え活づいていました。メタセコイアの木は、美しい緑の芽を出し、いつの間にか鮮やかな葉となり生い繁ってゆき、桜の木は、これ以上開かないというほど花びら一枚一枚が一生懸命に咲き誇っていました。そんな自然の営みの中で、神様の愛を実感させられました。 新しい生命を与えてくださる春に私たちは、イースターを迎えます。主イエス・キリストが十字架を負い死んでよみがえられた復活の日こそ、新しい出発の日となるのです。一度死んだ命が神によって新しい生命としてよみがえるのです。私たちの罪を全て十字架にかけてくださったイエスが、神によりその罪を許し復活してくださったのです。私たちは新しく生きることを許されたのです。復活の主に出会った弟子たちは、そのことを経験しました。十字架と復活の出来事の時、恐れて逃げ去り、信じようとしなかった弟子たちが復活の主により強くされ、信じる者とされ、新たな生命を得て歩み出したのです。 (マタイによる福音書28章1節〜、マルコによる福音書16章1節〜、ルカによる福音書24章1節〜、ヨハネによる福音書20章1節〜) 新しい生命の息づく春に、草花や樹木をはじめとする自然の生き物全てが力の限り生かされ生きる様に、私たちも神を信じ、イエスを信じ、与えられた新しい生命と賜物を精一杯生かし歩み行ければ幸いです。 私は、キリストと出会う中で、今まで”愛”と言うことをどれだけ簡単に考えていたかを思い知らされました。クオスト司祭は下記のごとく語ります。
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