日本基督教団 西神戸教会月報
2001年 7月号

                   
「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分の物だと言う者はなく、すべてを共有していた。」
(使徒言行録4章32節)

 初代教会の群れは、聖霊に満たされ豊かな共同体として歩みを続けていました。しかし、そこに問題が生じてきます。まず、アナニヤとサフィラ(5章)のように、共同体の中で同じ思いになれず、神を欺くものが出てきます。神によって生かされている群れのわずかな隙間から、悪魔の誘惑がもたらされ、彼らは神よりも自分を大切にし、神への真っすぐな思いから遠ざかってしまいました。そんな弱さを持つ群れではありますが、その試練を乗り越えることにより、ますます多くの者が信じ、広がり大きな共同体となっていきました。苦難を経験しながらも前身して行ったのです。しかし、その歩みの中でも再び問題が生じました。大きな広がりゆえに様々な苦情が出てきます。(6章) そこに集う一人ひとりの言葉や慣習や生活の違いが問題となってきます。人が増えれば増えるほど小さいことを見過ごしがちになります。考えや財や立場や思いや心の違いが出てきます。本来教会は、その違いを超えて一つとなり得る場であらねばならない場です。なぜなら神の創りたもうた人間は、一人ひとり異なるのが当たり前であり、神への思いによって初めて一つとなってゆくものです。違いや異なりを生かしつつ、全体の益となるように各人は存在するのです。教会が更なる成長をするために、いつも必要な問題が生じるのです。教会の歩みは決して平坦なものではありません。いろいろな曲折を経て、様々な内なる、外なる戦いを通り抜けて成長して行くのです。

 西神戸教会も50年の歩みを数えようとしています。今、その歩みの中で大きな局面を迎えています。牧師の交代・園舎建て替え・シオン館建築など簡単に進まないことが神によって用意されています。苦しみ、痛みなくしてなせる事ではありません。 神のみ心を問いつつ、教会の新たな前進のために、心と思いを一つにし、各自の力を十二分に用いることができれば幸いです。世に生きて働く教会として、小さなものを見過ごさず、果たすべき役割をなしつつ、教会の課題に取り組みたいと思います。

 「はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。」 (マタイ25:45) 最も小さい者の一人とは誰でしょう?
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