日本基督教団 西神戸教会月報
2001年10月号

                   
「教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。」
(使徒言行録12章5節)

 これは、ヘロデ王に教会が迫害を受け、ヤコブが殺され、ペトロが捕らえられた時の教会の姿です。 使徒言行録は、ペンテコステ(聖霊降臨日)の後、目覚しい進展をみせるキリスト教会の姿を記しています。しかし、一方ではステパノの殉教(8章)以後、ユダヤ教指導者たちの反キリストは一層激しくなったことも記しています。彼らにとって、今までの習慣・掟・価値観を否定することは、自らの全てを否定することに等しく、到底受け入れられず、「新しいものはつねに謀反」という伝統主義・排他主義的な考えで教会を迫害していきました。そんな状況の中、当時のユダヤの権力者であるヘロデ王は、自らの立場の安泰と保持の為に、ユダヤ人を喜ばせる手段として、権力によってキリスト教を迫害しました。キリスト教の指導的立場にあるヤコブを殺害し、宣教活動の中心的働きをしていたペトロを捕らえたのです。しかも過越祭という、人々が一番集まり注目する時を選んで事を成したのです。
 教会は、それに対して抗議も抵抗も出来ぬ弱い存在であり、なす術を持ちませんでした。この世の権力に対して、教会は何の力もありません。そんな弱さの中で彼らの成し得るただ一つのことは、神に祈ることでした。彼らには何の力もありませんでしたが、熱心な祈りをささげる中、神によってペトロは助けられました。神を信じ、ひたすら祈り続ける時、人間の思いを越えた出来事が神によって与えられるのです。それは、私たちの思いとは異なる出来事かも知れません。神を信じるとは、これから先何がどうなったとしても神が共にいてくださり、命の源として道を示し、必ずや救いをもたらしてくださることを信じるということです。神は、私たちが拘わり、捕らわれているもの全てから解き放ってくださるのです。神を信じて熱心な祈りを捧げる時、絶望の闇より希望を持って生きる事へと導かれていきます。弱さの中から祈りによって押し出され、強く生きることが出来るのです。祈りは、祈ることだけで終わるのではなく、その後、世に遣わされ生きる私たちを押し出し、根底で支え導く力となるのです。今、神に生かされていることのすばらしさを祈りと賛美とみ言葉によって味わい、喜びと希望を持って許される限りの日々を精一杯歩めれば幸いです。
 世界は今、歩むべき道を見失っています。9月11日にアメリカで起こった「同時多発テロ」、アメリカのアフガニスタンに対する”テロ組織壊滅”と称しての10月7日よりの攻撃、何れも多くの尊い命を奪い、悲しみ・苦しみを罪のない人々に負わせました。力による解決は、真の平和に至りません。神の愛による平和が世界に満ちることを切に祈ります。

BACK NEXT TOP HOME