日本基督教団 西神戸教会月報
2002年04月号
西神戸教会に信仰のともしびが掲げられ、50年を数えます。 この歴史の中で多くの人々が連なり、大きな働きを成し遂げてこられました。 神がその道を導き、共に歩んでくださったことに心より感謝致します。 神により、一つとされた群れが様々な異なりを越えて、それぞれがより良く用いられ、数々の実を結びましたことは、信仰の賜物以外にないことを教えられます。 50年を迎えた教会が、その基に立ち、また新たなる歩みを成そうとしていることは、わたしたちの信仰の問われるところであります。 教会がシオン館・星陵台めぐみ幼稚園という具体的な働きの場を委ねられつつ、神戸聖隷福祉事業団・神戸YMCA等の関わりの中で、多岐にわたる繋がりと役割が与えられていることは、感謝な出来事であります。幼な子から高齢者に至るまで様々な人々と交わり、共に生きる道が示されています。 エフェソ書において、「神から招かれているのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容な心をもちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。」(4:1〜)と勧められている言葉に心新たにされます。人のすることは、いつも自己中心であり、様々なところで衝突・分裂が生じます。 しかし、教会は、そんな罪のしがらみを持ちつつも、神の愛とゆるしの中で集められた群れです。また「主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。」(4:5〜)ということを知る群れなのです。 神によって、さらには信仰によって初めてバラバラなものが一つとされるのです。 一つと言うのは、すべての者が全く同じになることではありません。 それぞれの賜物の異なりの中で、自分も他者もすべてが同じ主に救われ、同じ神によって造られたかけがえのない存在であることを認め一つとされるのです。 そして、それぞれが互いに欠けや弱さを助け合い、補い合い、大きな広がりのある歩みへと進み行くのです。 50年を迎えた群れが、神からいつも一つの大きな希望を与えられ、どんな時にも神に祈り、全ての事には神の定めた時があることを信じつつ、互いの重荷を負い、生き、歩めますことを心より祈ります。 |
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