日本基督教団 西神戸教会月報
2002年05月号

                   
「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」
(フィリピの信徒への手紙4章6節)

 今年も5月19日(日)に聖霊降臨日を迎えました。 イエスキリストが捕らえられ、十字架にかかる時に逃げ去り、散らばって行った弟子たちが、一つところに集まり、心を一つにして祈っているところに聖霊が与えられました。 彼らの弱さ・欠け・失敗を越えて神の力が注がれたのです。 恐れ、戸惑い、裏切り、逃げ去った弟子たちに、いつも共にいたもう神として聖霊が与えられることにより、彼らの力に満ちた新しい歩みが始まりました。

 わたしたちは、「主はすぐ近くにおられます。」(4:5)ということをいつも信じ、感じているでしょうか。パウロは、フィリピの人々に「主において常に喜びなさい。」(4:4)と勧める中で主が共におられることを告げ、その主に全て(心・思い)を向けて行く様に導くのです。 わたしたちにもたらされる事に気づく時、わたしたちの心の嵐は静まります。 世に捕らわれ、自らに捕らわれて、息苦しい・悲しい歩みの闇が取り去られてゆくのです。 どんなわたしたちであったとしても、今ある自分を愛し、恵みで満たしていてくださる神の愛に出会うのです。 なぜなら、イエス・キリストは、罪人を救い、病める者を生かし、全ての人へ愛を示すために世に来てくださり、十字架の苦しみ・痛み・悲しみを一人で負ってくださったのです。 そのことを信じ、感謝する時わたしたちは、様々な捕らわれから解き放たれていくのではないでしょうか。

 パウロは語ります。 「そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(4:7)人知を超える神の平和とは何でしょう。 世において人の力(力の論理)によって築かれているものではない、人の思いをはるかに超えた神の平和がわたしたちを満たしてくれるのです。 わたしたちの築こうとする平和は、必ずどこかで誰かが悲しみ・苦しみ・虐げられていくのです。 他者を苦しめて自らが得る者が平和でしょうか。 神に全てを向けて行く時、必ずわたしたちのなすべき道と進むべき方向が指し示されるのです。 それは、わたしたちの思いとは異なるかも知れませんが、その思いを率直に神に打ち明けるなら、主によってわたしたちは神のみ心を行う者に変えられるのです。 共に喜び歩みましょう。
BACK NEXT TOP HOME