日本基督教団 西神戸教会月報
2002年07月号
使徒言行録の最後の部分です。 パウロの生き生きとした喜びに満ちた働きぶりが浮かんできます。 わたしたちは、いつも何かを気にして何かに捕らわれてしまっています。 それは、色々なものが考えられるでしょう。 また、それは、人によっても異なっている物だと思います。 それらの物は、きっとこの世を生きるためにとても大切な物に違いありません。 しかし、それは、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて語ることの妨げとはなっていないでしょうか。 わたしは、牧師という働きを神様から与えられ、喜び一杯働けることを実感しつつも、時として、この世の価値観やこの世のある一定の秤(はかり)の前で空しく、苦しく、悲しくなることがあります。 人の世に生きる苦しさを実感する瞬間です。 気づかないうちに、牧師という枠が、それぞれの価値観の中で作り上げられていることがあります。 そんな時、わたしみたいな牧師がいても良いじゃないか、神様が必要として選び、送り出してくださったんだから・・・・、と思う時、その束縛から解き放たれてゆきます。 わたしたちの大切にすべきことは、神様がわたしたち一人一人をこよなく愛し、み子イエスを十字架に架けてまで必要として、この世の交わりの中に生かしていてくださっていることではないでしょうか。 その愛に応答するものとして、神様から自由を得ることが出来るのです。 様々な捕らわれの中でも、何を最も大切にすべきかをしっかり知っていれば、何も妨げる物はなくなってくるのです。 わたしたちが、何によって命を受け、何ゆえ生かされ、今ここにいるのか、ということをいつも神に問いつつ大切な働きに身を投じて行きたいと思います。 パウロは、訪問してくる人々をだれかれとなく歓迎し受け入れています。 わたしたちの教会はどうでしょうか。 この世にある今の教会は、どうでしょうか。 教会に入りにくい、行きにくい雰囲気や体質を持っていないでしょうか。 この世に無くてはならない場所として教会が存在し続け、いつでもどこでも人々が受けいられて行くことが出来れば、多くの人の荷が軽くされて行くことでしょう。 この世において、まず、わたしたち自身が神様によって、心も体も自由を得て、何の妨げもなく、歩みゆくことが出来ますようにと切に祈ります。 |
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