日本基督教団 西神戸教会月報
2002年09月号
今、わたしたちが神様から生かされている世界は、どんな世界でしょうか。 生かされている周りを見回してみてください。 そして、時の流れと共にどの様に変わってきたのでしょう。 自然が混乱と呻きの中にあり、人間は、憎しみと悲しみの歴史を繰り返しています。 今年の夏の暑さは、どうだったでしょうか。 毎年のように暑くなっていく中、今年は昨年より平均気温が2度上がっていると言われます。 その暑さをのがれるためクーラーが欠かせなくなり、そのことによりさらに暑い風が室外機より吹いています。 人は、歩くことによりクーラーのかかった車を好み、土の上を黒いアスファルトで塗り固めて整備された道路を、排気ガスを撒き散らしながら走っています。 私自身もその生活に慣れ、当たり前のようになっています。 自分だけが快適で楽な生活を選んでしまっているのです。 そのことにより、沈みゆく島や大きな自然災害を作り出し、どこかでいつも自然や人が苦しみを負わされてしまっているのです。 パウロの生きた時代もある意味でそのような状況があったのでしょう。 22節で「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。」と語ります。 しかし、そんな現実の混乱状況の中で、神による希望を指し示すのです。 すべてをなしたもう神を信じて、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、新しい世界のもたらされることをも待っているのです。 わたしたちは、いつも今の現実ばかりに捕らわれて、希望を持つ事が出来ずにいます。 滅びゆく姿ばかり見つめて、神のなしたもう将来さえも否定してしまうのです。 そこでは神への信頼、信仰は失われています。 今という時の中に生かされる者の使命や役割を放棄してしまうのです。 神をどこまでも信じて、与えられた賜物を十分用いて生きるなら、そこに新しい世界は用意されているのです。 2001年9月11日同時多発テロから始まった悲しみの出来事は、全世界に及びました。しかし、その悲しみを人は、なおも繰り返そうとするのです。 見えないものに望みをかけて、本当にすべての人が神に与えられた世界を喜びと希望を持って歩める日が来ることを祈り、願いつつ、自らの行いをしっかりと悔い改め、今出来ることに全力を注いで歩みゆきたいものです。 |
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