日本基督教団 西神戸教会月報
2003年01月号
新しい主の年2003年を迎えました。過ぐる1年、わたしたちは、神の豊かな恵みを受けながら生かされ歩むことが出来ました。悲しい事・苦しい事との出会いの中にあっても神の支えにより、"今"を迎えることが出来ました。それは、わたしたちと共に、すべての重荷を負い主が歩んでくださったからです。生命の源なる神と主イエス・キリストと出会うことができた恵みを心より感謝します。わたしたちの身近な所では、生きるという事で苦しみを負う人々がいます。特にわたしたちの生きる神戸の地は、1995年1月17日に大きな地震によって、地が揺れ動き、多くの物が壊わされ、多くのもの(者・物)が奪われてしまいました。しかし、その苦しみと悲しみの中で、希望の灯りを失う事なく歩み続けてきました。その一つの象徴として、神戸の街では、ルミナリエの光が灯され続けています。震災より8年を迎えた今、失った中で得たもの(者・物)を大切に守りながら、歩み続けて行く責任がわたしたちにはあるのではないでしょうか。神によって"今ここで"生かされている事に感謝すると共に、生きる事の出来なかったたくさんの生命の重さを忘れる事なく、人と人が出会い、助け合い、支え合い、補い合いつつ生きる世を目ざして歩んで行ければ幸いです。 神は、わたしたち人間が真の生命を受けて歩み行けるように、大切な愛する独り子を混沌とした世に与えてくださいました。イエス・キリストは、ひたすら世の苦しむ人々と歩んでくださいました。そして、大切な命の輝きと営みをすべての人にもたらしてくださったのです。ある一部の限られた人にではなく、どんな人にも与えられている喜びのメッセージがそこにあるのです。失ったもの(者・物)を見つめ探す中でその出会いは与えられ、嘆き・悲しむ中で見い出されるのです。「上から来られる方は、すべてのもののうえにおられる。…中略…天から来られる方は、すべてのものの上におられる。」(31節) わたしたちは、神のみ心を悟れず、いつまでも自己中心で自分勝手な歩みばかりをしてしまっています。自分さえよけれぱ、すぐ側で苦しんでいる人がいても避けて反対側の道を歩いて行ってしまう心を持っているのです。そればかりではなく、他者を自分の為に、平気で犠牲にしてしまう事さえもあるのです。神がわたしたち一人一を"今"なお生かし続けていてくださる大いなる恵みに感謝し、神のみ心に従い、与えられたそれぞれの場所で、生命を輝かせ歩める年である事を切に祈ります。 |
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