日本基督教団 西神戸教会月報
2003年02月号

                   
「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」その人は、イエスの言われた言葉を
信じて帰って行った。
《ヨハネによる福音書4章50節》

  イエスは、この世を歩む中で、他との出会いを通してわたしたらに多くの事を伝えてくれます。 出会うそれぞれの場所・人・物の中より、神の大切なみ心を教えてくれます。ヨハネによる福音書4章前半では、ユダヤ人との衝突を避けて、ガリラヤに行く途中に出会ったサマリヤの女との会話によって、生命の水・真の礼拝・命の糧などについてイエスが語られる中で、わたしたちは"今"を新しく生きる源が与えられました。そして、神のご計画として主を信じる者が、ユダヤ人ではなく、ユダヤと敵対するサマリヤ人の中で多く与えられた様を知らされました。

  ガリラヤにおいてもイエスは、言葉と業(しるし)を通して、一つの家族に新たな命を与えられました。イエスを信じる事によって、わたしたちも常に新しい命を与えられ続けています。しかし、残念ながら、わたしたちは、その主を最後まで信じ続けて行く事が出来ず、時を待たずあるいは時を理解出来ず、自分で全てのことを自分の思いのとおりにしてしまって、神のなされる事に気づく事が出来なくなり、新たな命を受け取ることを逃してしまっているのではないでしょうか。神に与えられた大切な命を神は豊かに用いてくださるのです、、以前礼拝の中で紹介しましたSmapの"世界に一つだけの花"の歌詞の中で歌われているように、"そうさ僕らも世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になれぱいい 小さい花や大きな花一つとして同じものはないからNO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one"の存在として、周りの雑音や雑念や価値観に惑わされず、神に生かされる喜びに満たされ歩み行けたら幸いです。ガリラヤでのイエスと役人との出会いは、しるしや業を見てから信じるのでなく、イエスの言葉そのものを聞いて信じる信仰が示されています。「帰りなさい。」という言葉は、元のところへ帰るというより、新しい事態の待ち受けている所へ行きなさいという語りかけであります。そして、イエスは、息子は「助かる・治る」とは言わずに、「生きる」と言われました。イエスは、命を与える方であり、イエスの言葉を信じる事によって、人は生きるものとなるのです。神を信じて、一歩踏み出す事によって、神の備えたもう新しい出来事に出会うのです。自分を安全第一として守る事は、大切かも知れませんが、守りすぎて新しい生命の営みを味わう事が出来ず、いつもと変わらぬ世の喜ぴしか知らず、神の与えてくださっている命の喜びに至らないのです。何も無くても、自分らしく神と人との中で生きる喜びに満たされて歩みたいものです。
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