日本基督教団 西神戸教会月報
2003年11月号

                   
「見よ、わたしの選んだ僕。
わたしの心に適った愛する者。
この僕にわたしの霊を授ける。
彼は異邦人に正義を知らせる。」
《マタイによる福音書12章18節》

 わたしたちは、神様がこの世に命を与えてくださり、必要とされている事をいつも感じているでしょうか。この世に埋没してしまう中で様々な雑音によって、神様の語りかけてくださっている大切な愛の言葉をかき消してしまっているのではないかと思います。「あなたはこの世にのぞまれて生まれてきた大切な人」(マザー・テレサの言葉)として命を受け生かされているのです。それにもかかわらず、その愛を見失い殺伐とした心となり、自分のことぱかりしか考えられなくなってしまっています。人は、愛されることによって愛を知り、他を愛することが出来る者となります。これは、努カや義務で出来ることではありません。何故なら、そこに心が伴わないからです。神様は、自らの大切な独り子をわたしたち人間のために惜しまず与えてくださいました。悪に満ちた、罪を繰り返す世に、わざわざ大切な子どもを送り出されたのです。「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。」  (ヨハネの手紙一 3:9〜)

 わたしたちが神の心を自らの心とする時、世において豊かな世界が訪れます。そのためにいつも神は、色々な事を通して私達を導いていてくださるのです。それは、わたしたちが望む事とは異なった形で現されてくる事が多いのです。どんな中にあっても神様を信じて行くならば、その応えが与えられてきます。人は、その事を待ち切れず、神の受を見失ってしまいます。自分の思い、自分のカ、自分の望みに縛られて、窮屈な生き方をしてしまい、偏った考えと価値観の中に縛られて人を愛せず、苦しめてしまうのです。神の大切な独り子なる主イエスでさえも世を生きる時、神の霊を必要としました。神の思いの中でこの世を生きるには、神に愛され生かされている事を信じて、自らを神に全て委ねて行くことが大切なのです。

 世は、主イエス・キリストを与えられた今もなお闇の中を歩み続けています。人の語る言葉の中で、人の偽善の中で、正当化された行いと言葉の中で、どれだけ多くの人が苦しみ、悲しみ、生きる道や命を失っている事でしょう。クリスマスを前に今一度、心を鎮め、馬小屋での主イエスの誕生を喜ぶ心の備えをしてゆけるように祈ります。闇の世に光を輝かせる出来事は、神の愛による業以外にないのてす。命の真の輝きを求め、様々な雑音に惑わされず他と共に神の愛のうちを歩みましょう。
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