日本基督教団 西神戸教会月報
2004年02月号

                   
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」
《ヨハネによる福音書14章1節》
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。」
                 《ヨハネによる福音書14章6節》

 私たちは、生きて行く旅路で、どれ程多くの心を騒がせる事と出会っているでしょう。
いつも心騒がせていると言っても良いかも知れません。どんなに神様から恵みを受け、助けを与えられ、祝福されていても安心して歩むことができずにいるのです。自分の思いに支配され、神の存在を消し去っているのです。安心して生きるには、自分が満足できる状態ぱかりを望み、"今ある恵み"を見えなくしてしまっているのです。
「騒ぐ」とは、嵐で海の上で激しく波立ち、乱れる様子を示す言葉で、何らかの問題や外からの攻撃などによって乱れている心の状態です。心がぱらぱらにちぎれて分裂しないように神様は、いつもわたしたちと共に歩んでいてくださっているのです。神様は、時に側で支え、時に後から見守り、時に前を進んで道を開いて導いてくださっているのです。共に荷を負い、わたしたちの負うべき荷を軽くしてくださいます。問題に直面し、不安や混乱に飲み込まれそうになる時、共にいてくださる愛に満ちた神を信じることによって、新たな道が与えられて来ます。信仰によって生きる時に、主イエスの歩みと言葉がわたしたちの心に響き渡り、どんな中をも歩み行ける光を見出し、生命の喜びに満たされ、希望を持って進む事ができるです。

 上記の聖書は、イエスが十字架を前に弟子たちに語りかけている言葉です。イエスが彼らの側から離れ、見えなくなることによって、おそらく彼らは心を騒がせる事になるので、その前に困らぬように主イエスは道を指し示してくださっているのです。「神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」これが全てです。それ以外に心に平安をもたらす物は無いのです。自らに命を与えてくださる根源を見出し、信じるのです。弟子たちにとって、最も頼りにして来た存在がいなくなることは、大きな不安であり、恐れであります。しかし主は、どこまでもどんなことがあっても神を信じてさえいれぱ、大丈夫だと語ってくれるのです。「わたしは道であり、真理であり、命である。」 これ以上の確かな道標があるでしょうか。

 世において「心を騒がせる」多くの出来事の中、人に惑わされず、揺ざぶられず、神と主イエスを信じ、心を穏やかに確かなものを見つめて歩み行きたいものです。自らと他者に与えられた生命の営みを大切に生きる事が神から示されている道であり、その生命を主に委ねる事により、「心を騒がせる」事なく歩めるのてす。
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