日本基督教団 西神戸教会月報
2004年06月号

                   
---この人たちがそもそもどんな人であったにせよ、それは、わたしには
どうでもよいことです。神は人を分け隔てなさいません。---
《ガラテヤの信徒への手紙2章6節》

 梅雨に入り、過ごしにくい日々が続いていますが、天気に恵まれた14日(月)に幼稚園では、子どもたちが家庭より持ち寄った花を飾って、「花の日・子どもの日」礼拝を行いました。子どもたちと共に沢山の花々を前にして、その美しさ・香しさに心満たされて喜びと感謝の時を過ごしました。主イエスの語られた「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。」(マタイ6:28)という言葉に思いを馳せながら、花を見つめてそれぞれの花の持つ美しさを知らされました。花びら一枚一枚の色や形は異なりを持ち、それが一つの花をかたち作っています。同じ種類の花でも様々な異なりが、当然のようにあるのです。花束を作るとき、様々な種類・大小・色とりどりの花を組み合わせて美しさを強調します。それぞれの花が、一生懸命自分の果たすべき役割を担い互いを引き立たせているのです。自分に与えられた役割を知り、自分なりの花を咲かせる事が何よりも大切なのです。わたしたちが為すべき事は、よそ見をせずに神様から与えられた自分の務めを果たしていくことで十分なのです。神様から与えられた自分の存在を受け入れる事により、背仲びすることも卑下することも必要なくなるのです。この花々のように、幼い子どもたちが、それぞれに与えられた神様からの贈り物をしっかりと受け取って、他者を憎み合い争う存在とするのではなく、補い助け合う存在として互いを認め合って大きくなってほしいと願います。

 パウロは、自らの使徒としての働きを神様からの使命として受け取り歩みました。そこには、何の迷いもありませんでした。「割礼を受けた人々に対する使徒としての任務のためにペトロに働きかけた方は、異邦人に対する使徒としての任務のためにわたしにも働きかけられたのです。」(2:8)と記しているとおりです。

 わたしたちに大切な事は、まず神様が自らに何を与えてくださったのかを知ることです。わたしに神様がどんな贈り物をくださり、どんな役割を与えてくださっているのか。それを見つめることからすべては始まります。わたしたちは、見当違いの物や事を求めて、自ら苦しんではいないでしょうか。人にはどうすることの出来ない現実がそこにはあります。人は、大なり小なり得意・不得意、向き・不向きがあります。それにも関わらず、完全な人になろうとして、もがき苦しむのです。自分という人間をわきまえず、生きて行こうとするのです。神様の前に人として謙虚になり、神様のご計画とみ心に従う中で、人は人としての喜びに満たされるのです。「神は人を分け隔てなさいません。」という言葉は、真実のものとしてわたしたちの心の中に響き、ありのままの自分を受け入れる勇気を与え、わたしたちを自由へと解き放つのです。
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