日本基督教団 西神戸教会月報
2004年10月号
わたしたちは、感謝に満ちた日々が送れたら、そんなうれしいことはありません。 しかし、そう願いながらもわたしたちは、いつの間にか、いつも不満や不平をつのらせてしまい、喜びのない日々を送ってしまっています。それは、欠けたものや満たされないものにばかり心を奪われてしまっているからではないでしょうか。満たされない、与えられない、叶えられない、というのは、あくまでも自分の思い・自分の基準にとってであります。本当は、ある意味ではもう既に豊かに与えられ、満たされ、叶えられているにもかかわらず、贅沢すぎてその事に気付かなくなってしまっているのではないでしょうか。 神様は、わたしたち人間を生かすために独り子なる大切なイエスを、悪に満ちたこの世に送り、苦しみの極みまで経験させ十字架にっけられました。神様の愛を醜い憎悪と欲望に満ちた世に与えてくださったのです。その愛により、すべての人が生きる事のできる道を開かれました。わたしたちは、そのイエス・キリストの愛に結ばれた時に"生きる"ということの喜びを知るのです。この世に命を受け、生かされているその大切な営みを受け止めていくことから、すべては始まるのではないでしょうか。生きることは、うれしい・楽しい事ばかりではありません。苦しく、悲しいこともたくさんあります。ても、その一つ一つに大切な生命の営みがあるのてす。その鼓動が他のもの(者・物)と共鳴し、響き合う時に与えられている事の喜びを知ることができるのです。どんな中にあっても、神様を信じることをやめない限り、道は必ず開かれてゆくのてす。それは、わたしたちの思っているとおりてはなく、全く異なったものとして与えられる場合もあるのです。せっかく主イエス・キリストと出会い、受け入れたのですから、キリストにしっかりと結びつき、そこから喜びと感謝に満ちた歩みへと導かれて行かなくては、もったいないのではないでしょうか。 わたしたちに与えられる様々なものをどこから、どのように見るかで受け取り方は全く変わってきてしまうのです。せっかく与えられるものであるなら、喜びと感謝に満ちたものとして受け止めることができれぱ、幸いです。そうできるための方法を神様は、いつも示し続けていてくれるのです。 |
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