日本基督教団 西神戸教会月報
2005年01月号
2005年という新しい年を迎え歩み始めました。わたしたちは、この一年の月日をどんなふうに歩んでゆくのでしょうか。2004年を振り返る時、世界的に、日本国内で、兵庫県内で、身近な生活の中で様々な出来事と出合い、恐れと不安、苦しみと困難の中をどれだけ多くの人が経験した事でしょう。「今年こそは」という思いから始まる一年であっても、何時如何なることがわたしたちに訪れるかは、誰にも分かりません。しかし、どんな事が生じたとしてもその歩みの中で、神様よりかけがえのない命が与えられ、生かされている喜びを経験していくことは、とても大切なことです。絶望で途方に暮れるのではなく、希望を持って生きてゆけることは、生きるための大きな力となります。わたしたちは"今"神様に豊かな命を与えられ生かされています。その事実を受け止めて、大切にその生命を用いて行くことが神様に生かされている喜びにつながります。 1995年1月17日の阪神・淡路大震災より10年が過ぎました。深く大きな悲しみとの出会いの中で、わたしたちは生き続けています。生かされている者として、日々を悔いなく生きる責任が与えられているのです。悲しみを繰り返す世において、今スマトラ沖大地震の津波は20万人を超える死者を出しました。どうすることもできなかった人間の無力さを痛感すると同時に、今からその痛みに心を寄せて、残された者として果たしてゆかなくてはならない働きの大きさを感じます。過ぎ行く日々の中で与えられる出来事を受け止めながら、神様の備えられている事柄に気づき感謝する者でありたいと思います。神様が、わたしたちになさっている御業とは何であり、御手の働きはどこにあるのかを信仰によって知ることができるなら、新しい一年においてもたらされる、一つ一つの出来事を受け止めて行くことができるでしょう。どんな事が起こるか分からない不確かな日々を歩む者として、二度と戻ることのない与えられた大切な一日を精一杯生きることが大切です。"一日一生"と言われるごとく、与えられた生命を最大限輝かしていく時、襲い来る様々な事柄を神様に支えられ、受け止めて行くことができるのではないでしょうか。目の前に訪れる課題に向かい合い取り組む中で、自らのなすべき業が神様から示されるのです。 |
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