日本基督教団 西神戸教会月報
2005年10月号

                   
だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
《マタイによる福音書25章14〜30節》

 わたしたちは、神様から与えられているもの(者・物)をちゃんと受け入れているでしょうか。与えられているもの自体体が、何なのかも解っていないことが多いです。そのために、日々不平・不満に満ちた歩みをしてしまい、神様の恵みを受け取り損ねてしまっているのです。神様への感謝は、今神様が何を与えてくださっているかを知ることができれば自ずと沸き上がってくるのです。与えられているものに気が付かない人は、それを感謝して用いることができません。与えられていることに心を寄せられず、与えられていないものにぱかり、心を奪われてしまうのです。神様は、それぞれに異なったものを与えて下さっています。長さ・重さ・強さ・高さ・深さ・豊かさ等々、皆違うのです。それは、見えるものも見えないものもあります。それをどのように見出し、受け取っていくかが大切なのです。上記の聖句は、「持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」と語っていますが、持っていないのに何が取り上げられるのでしょう。つまり、持っているにもかかわらず、持っていないと思い込んでいるので、それを十分用いることができず、知らぬ間に失ってしまうのです。

 この聖句は、タラントンの譬えからきているものです。ご主人が、3人の僕たちにそれぞれの力に応じて5タラントン・2タラントン・1タラントンの財産を預けて旅に出ました。大切な財産を委ねるのですから、主人は3人を信用していたことがわかります。5タラントン・2タラントンを預けられた者たちは、それを用いて、それぞれが5タラントン・2タラントンを増やしました。ところが1タラントンを預けられた者は、それを土の中に埋めてしまい用いることをしませんでした。1タラントンと聞くととても少ないように思ってしまいますけど、実は大金なのです。1タラントンは、6000ドラクメ(デナリオン)相当であり、1ドラクメ(デナリオン)は、1日の賃金に当たるのです。今に当てはめると日給5000円とすれぱ、1タラントンは3000万円にもなるのです。せっかく大切な財産を信用して預けられているのに、それを土に埋めてしまっては、その信用を裏切ってしまうことになり、預げた人の意に添わないことなのです。わたしたちも力に応じて、神様が大切なものをそれぞれに委ねてくださっています。自らに委ねられているもの、与られているものをしっかりと受け止め、無い物ねだりではなく、あるものを最大限用いていくことが求められているのです。わたしたちに与えられているものは、全て用いるためのものであり、出し惜しみしていては本来の意味を失うのです。「何も与えられていない」のではなく、「こんなにも与えられている」という感謝の歩みをなしましょう。
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