日本基督教団 西神戸教会月報
2005年12月号
今年もいよいよクリスマスを迎えます。わたしたちの周り《教会以外》でも、クリスマスの訪れを侘びている多くの人々がいます。しかし、そのクリスマスには身分の低い主のはしためであるマリアから誕生し、飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子の姿がありません。自分たちの満足のみを充たそうとするクリスマスが、他の人と共に喜びを分かち合う愛に満たされたクリスマスとなることを切に祈ります。せっかく多くの人がクリスマスを祝おうとしているこの時に、教会は、神様がこの世に痛みをもって愛を示してくださった出来事を、一人でも多くの人に宣べ伝えていくことが求められているのです。内にこもるのではなく、外に向かって語り続けて行くことが大切なのではないでしょうか。そのためにも教会において高らかに主を賛美し、心より飼い葉桶の中の乳飲み子を受け入れ、暖かさと優しさに満たされたクリスマスを共に迎えましょう。 神様からイエスの母として選ばれたマリアは、「どうして、そんなことがありえましょうか。」と神様の選びを否定しました。しかし、その選びにこそ神様のみ心があることを知った時、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と神様を信じて、全てを受け入れたのです。わたしたちは、神様がせっかく、わたしたちの思いを超えたことをなそうとしているのに、そのことを自分の秤で計ってしまって、否定したまま受け入れようとしない者になってしまってはいないでしょうか。人にはできなくても、神様にはできるということを信じることが、信仰の姿なのです。 マリアは、全てを受け入れることによって、神様に向かって高らかに賛美するものとなりました。あり得もしないことを成してくださる神様の偉大なカを人々に伝えるのです。それは、神様がマリアの体を通して行ってくださった出来事によって、もたらされたマリァの喜び溢れる賛美なのです。わたしたちも、自らに神様が与えてくださっている恵みに気づき、喜び溢れる賛美を成しましょう。 |
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