日本基督教団 西神戸教会月報
2006年4月号

                   
「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜してい
るが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。 かねて言われたとおり、そこでお目にかかる』と。」
 マルコによる福音書福音書16章1〜8節

 イースターの礼拝を迎えました。この日の喜びは、世の人々に捨てられ、蔑まれ、裏切られ、罵られて、十字架にかけられたイエスの苦しみ・悲しみがあったからこそ与えられたものなのです。復活は、死の現実に出会ったからこそ、驚きや喜びとなるのです。この出来事に出会った人々は、イエスと共に生きて歩んでいたとき何度となく聞かされていたけれども、信じることができませんでした。このことを信じることができたのは、復活の主イエスに出会ってからでした。イエスは、どこまでも神の思いと計画を受け取れずにいる人々を見捨てず、忍耐強く愛し、支えてくれたのです。

 わたしたちの日常においても、この偉大な出来事を既に与えられているのに、神を信じ切れず、自分で自分を追い詰めて生きてしまっています。神の愛がどれほど私たちに注がれ続けているのかを知ることができずにいるのです。わたしたちの生きている日々に、どんなにたくさん神の業が示されていることでしょう。当たり前に思っているそのただ中に、神の恵みが与えられているのです。

 復活の出来事は、この世の闇と人の限界を打ち破る出来事でした。わたしたちは、自分の秤で物事を全て計ってしまって、その限界の中で生きてしまっているのです。しかし神は、その限界を打ち破り、その秤では計ることのできない事を与えてくださるのです。その秤にこだわる人は、神の与えてくださっていることを受け止めることが出来ないのです。復活も当然信じられない出来事になるのです。神の存在、イエスの十字架と復活を素直に信じることができれば、そこから、その人の命の歩みは変えられていくのです。神に与えられた命の尊さと輝きを信じることができるのです。自では輝くことができなくても、輝かせてくださる方がいるのです。その方を信じて自らを委ねて生きる時、新しい光を見出すのです。神は、この世の様々な束縛から、人を解き放ってくださるのです。ごく限られた狭い世界の中で息苦しい歩みをするのではなく、神の与えてくださっている広い世界で、のびのびと神に与えられた命を輝かせて生きてゆく事ができれば、人は豊かにされてゆくにちがいありません。

 2006年度の歩みが始まりました。今、命の営みが与えられているものとして、神によって与えられる様々な人や物や事との出会いを大切にして、そこに秘められた神の計画を受け取り、神を信じて歩んでゆきましょう。たとえそれが、わたしたちの思いとは異なるものであったとしても、そこには必ず大切なものがあるのです。
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