日本基督教団 西神戸教会月報
2006年5月号

                   
「はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぷ。
あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。」
 ヨハネによる福音書16章20節

 2006年度も一カ月の歩みを終え、それぞれが新しい歩みを始めています。今、この時、生命の営みが与えられている者として、神によって与えられる様々な出来事の中での人や物や事柄との出会いを大切にして、そこに備えられている神の計画を受け取り、神を信じて歩んでゆければ幸いです。しかし残念ながら、それらのものが、わたしたちの思っていた事や物とは違っていることがあるのです。そんな違いの中で、わたしたちは、神の思いを受け取れなくなってしまうのです。わたしたちの思いや望み等と異なる事が多いのです。そこには必ず大切なものが秘められているのです。

イエスの十字架が、前もっで何度も神のご計画であることをイエスから聞かされていても、その当時の人々や弟子たちが受け止められなかったことは、今のわたしたちの中にある潜在的なものと何ら異なるものではなかったのです。しかし、神はそんな人をひたすら愛し、赦してくださいました。そして、受け止められない者に寄り添い、語りかけ、新しい出来事を通して、信じるものとしてくださいました。その出来事によって、今のわたしたちの歩みがあるのです。

 上に記した聖書の言葉は、イエスの語られていることが全く分からない弟子たちに対して、今・後の出来事を受け取れるよう、丁寧にイエスが語りかけている場面です。つまり、弟子たちや多くの人々が、自分たちの中にあるメシァ像の上にイエスを重ね合わせて全てを見、聞きしてゆくので、イエスの語られる事を理解できずにいる事が明らかにされています。

 神を信じる。イエスを信じる。このことから、全ては始まるのです。そこから、全ての物や事を受け取り直すことができるのです。「悲しみが喜びに変わる。」と言われても、何がどうしてそうなるのかは、なかなか理解できることではありません。しかし、神のなされる業である事を信じることによって、その現実に出会うことができるのです。イエスの十字架による死と復活の出来事は、語られたその時点では、理解できるものではありませんでした。彼らがそのことを受け取れたのは、復活の主と出会い、聖霊降臨によって力を受けてからのことでした。

 わたしたちの歩みは、神のみ心に出会うことで全く異なったものとなってくるのです。自分だけの狭い世界で人や物や事柄を受け取るのではなく、神の与えてくださっている広い世界で受け取ってゆくことで、わたしたちの思いもよらない道が与えられてくるのです。そんな世界の中に生かされていることを感謝し、そのただ中にいつもいてくださる主を信じて歩みゆきましょう。
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