日本基督教団 西神戸教会月報
2006年6月号
聖書の世界が、いつの間にか、わたしたちの生活とは掛け離れた別の世界になってはいないでしょうか。もし、そうなってしまっているとすると、どこでわたしたちは神様の働きに出会うことができるのでしょう。聖書の世界が、信仰によってわたしたちの世界となることによって、神様のみ言とみ心とみ業を知ることができるのです。 わたしは、幼稚園の子どもたちにこの世の始まりを天地創造(創世記)の物語によって伝えます。それは、わたし自身が、この世のすべての源に神様の存在がある、ということを信じているからです。神様によって愛され、生かされていることを信じる信仰ゆえに、伝てゆくことの大切さを痛感しているからです。子どもたちは、伝えられなければ、知る事ができません。 その後それを信じるか否かは、個々に委ね.られていることなのです。 使徒言行録においても「主よ、あなたは天と地と海と、そして、そこにあるものを造られた方です。」《4:24》と信じて、神様に「思い切って大胆に御言葉を語ることができるように」祈る姿が記されています。そして、「祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。」のです。聖書の世界は、信じ難いことに満ちています。しかし、その業を通して、今の教会があることは、確かなことです。天地創造に始まる旧約の繰り広げる世界、主イエスの降誕・十字架・復活・昇天、聖霊降臨、イエスの奇跡等々を自らの信仰によって受け入れ、今の歩みの中に生かすことができれば、自ずとカが沸いてくるのです。 わたしたちは、日々の歩みの中で聖霊の働きを信じているでしょうか。あまりに、この世的になりすぎて、大切な神様の働きに気付かなくなってはいないでしょうか。様々な出来事を前にして、この世的な解決のみに追われてしまい、その中に秘められている神様のみ心を知ろうともせず、歩んでしまいます。祈ること、神様に向かうこと、神様の世界《み心・ご計画》に立ち返ることの大切さを思います。わたしたちは、今神様によって、この世を生かされているのです。その歩みを助けるために神様は、いつも聖霊を与え続けてくださっているのです。その働きを信じて、どんなに闇に包まれている世であっても、神様と共に喜びと希望に満たされて歩みましょう。 |
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