日本基督教団 西神戸教会月報
2006年7月号
今、わたしたちを取り巻く世界は、様々な価値観の違いによって、悲しい出来事が頻繁に起こってきてしまっています。特に、最も信頼すべき身近な存在が、命を奪い合っています。せっかく与えられた、かけがえのない大切な存在を受け入れることができず、その関係と命の営みを断ち切ってしまうのです。愛すべき、共に生きる存在さえも否定してしまう世が、神様の愛によって造りかえられてゆくことを切に祈ります。そして、その具体的な働きを世になすものとして、キリスト者が神様の豊かな愛と恵みと助けを受けて、この世に命を受けているのです。 わたしたちは、この世を生きる中で、大切にするべきものの優先順位を間違っていることはないでしょうか。大切にしなくてはならないもの(者・物)が、なおざりにされてしまい、虚無のものが求められ、大切にされているのです。 イエスによって、新たにもたらされた神様の愛に満ちた世界も、いつの間にか過去や形やきまりに捕らわれて、本来大切にすべきものより異なるものが、大切にされてしまっていたのです。そんな優先順位を間達ってしまっている人々に対して、パウロははっきりと大切なものを伝えるのです。周りの人々に惑わされ、様々な価値観の中で揺れ動くキリスト者に「愛の実践を伴う信仰こそ大切です。」と語るのです。 いつの間にか、わたしたちもこの世を歩んでいるうちに、周りのものに脅かされ、振り回され、影響されて、大切にすべきものを知りつつも流されてしまうのです。本当に大切なものは、わたしたちを豊かに生かしてくれるものとなるのです。しかし、そうでないものは、命を奪うものになってしまうのです。神様によって愛されて、かけがえのない命を与えられた者として、その生かされている役割を果たしてゆくことで神様の愛が地に広がります。しかし、ぞんなことしても無駄だと思ってしまう時、地は闇に閉ざされてしまうのです。せっかく、命を与えられ生かされているのですから、より豊かにその命を用いてゆかなくてはもったいないのです。愛によって育まれるべき命が、愛を欠いてしまうとどうなってしまうのでしょうか。神様から与えられた大切にすべきものは何かを知り、しっかりと受け留めてゆきましょう。 |
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