日本基督教団 西神戸教会月報
2007年1月号

                   
 そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」
ルカによる福音書4章21・22節》

 今わたしたちは、2007年を迎えることができました。これがどれ程大きく、恵みに満ちていることなのかに気づいているでしょうか。"今ここにいる"それだけで神様の豊かな愛と恵みを感じることができるのです。神様から命が与えられているということが、どれだけ貴いことでしょう。そんな命の大切な営みを、わたしたちは自分の思うようにできないと不幸だと感じ、その価値観から抜け出せなくなってしまいます。神様は、世に与えた命そのものを愛し、ありのまま・あるがままのわたしたちと共に歩んでくださっているのです。そこに何か特別なものは必要としないのです。新しい一年も、神様の愛と恵みに満たされて歩むことができたら幸いです。

 イエスはどんな聖書の言葉のことをここで語っているのでしょうか。 「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」 (イザヤ書61章1・2節)

 わたしたちは、どんな聖書の言葉を聴き、その業に出合っているのでしょうか。わたしたちの片寄った価値観の中では、そのことを正しく受け取ることができないのです。神様の豊かな愛に満ちた出来事に出合わせてもらっているにもかかわらず、自分で苦しみ、様々なもの(者・物)に捕らわれてしまって、身動きできないようになってしまっているのです。神様が与えてくださっている愛と自由に満ちた世において、どんなわたしたちであったとしても主イエスによって、希望を持って歩めるのです。

 この世は、神様が与えてくださった大切な独り子を受け留めることができず、自分たちの価値観の中で「この人はヨセフの子ではないか。」と言ってしまうのです。神様は、わたしたちの思いや経験を越えて豊かな恵みを備えていてくださっているのです。この世の価値観の中でわたしたちは、自らを誇ったり、卑下したりし、他者を気にしてしまい、そのことに振り回されてしまっているのです。そのままで良いはずの者が、他者の価値観によって、抑圧され、苦しめられ、変えさせられてしまうことさえあるのです。わたしたちは、誰を見て、何によってこの世を生きようとしているのでしょうか。命の源なる方をしっかり見つめて喜びを持って歩みましょう。
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