日本基督教団 西神戸教会月報
2007年9月号
日々を歩む中でいつの間にかこの世に埋没してしまい、自分が何者であるのかが分からなくなってしまうことがあります。神様に大切な命を与えられている者として、その命を輝かしてゆくことに大きな存在意義があります。その在り方を聖書は、いつも指し示していてくれるのです。それはこの世的価値観の範囲ではありません。 神様が与えてく ださった一人ひとりの異なった賜物を見い出すことが大切です。それは、誰にでも必ず与えられているものなのです。そしてそれは、この世において一つしかなく、同じもの は一つも無いのです。神様からは、そのかけがえのない物を全体のためにより豊かに活かしていくことが求められているのです。それをいかす(活かす・生かす)ためには、愛 が必要なのです。そのバラバラなものをつなぎあわせ、一つの物としてゆくために愛を身に着けていくことが求められるのです。それぞれの違いや異なりが争いや苦しみをも たらすものとならず、より良く働く様にするために愛が必要なのです。互いに支え合い、補い合い、助け合い、愛し合うことによって、それぞれが持ち味を発揮することが出来るのです。 「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから…」と言われているように、私たちが選んだのではなく、神様に愛され、選ばれているのです。その選びを信じることにより、豊かなカが引き出されてきます。それは私(個人〉の力ではなく、神様から与えられた力なのです。その力や豊かさを与えられた者は、その与えられた意味をしっかりと知り、大切に用いなくてはその本当の力を発揮することが出来ないのです。「憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。」と語り、さらには「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。」と続き、更に多くのことを求めています。わたしたちの命は、かけがえのないたった一つしかない尊いものです。尊い大切な命を与えられた者として、その命を喜び、感謝し、豊かなものとしてゆきたいものです。命が出会い喜びに満たされることを祈ります。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |