日本基督教団 西神戸教会月報
2007年11月号
日々の歩みの中で忘れてはいけないのに、忘れがちになってしまう事があります。それは、自分がどれだけ神様に愛され、たくさんの恵みに満たされているかということです。それは、他者と比べてどれぐらい与えられているかということではなくて、今の自分にどんなに豊かなものが与えられているかを知ることなのです。他者と比べて量を計り、数を数えるのではなくて、何もない自分にどれだけのものが与えられているかを知ることなのです。神様と自分の直接の関係がそこで見出されていくのです。その神様の愛を知り、受け入れていくのには信仰が必要となるのです。 神様を信じる事によって神様が与えて下さっている事実を知り、確信して歩み行けるのです。闇に光を与え、絶望に希望を与えてくださる神様の働きを信じられるのです。主イエスの歩みは、十字架の死をもって終わるのではなく、復活の命によって新たに始まるのです。 私たちにできることは、神様を信じることです。神様のなさること、語られることを信じることによって全てが始まり動き出します。そこに、歩みの基礎を据える時、この世の喜びではない、それを越えた喜びに出合う事ができるのです。神様を信じる事は、中途半端では何も見出せないのです。それは、自分の価値基準に神様を合わそうとしているからです。 逆なのです。神様がなさっていることを信仰によって見出して行く時、わたしたちは、豊かさを得ることができるのです。それは、信じて行うことの中で現実の事柄として出合う喜びなのです。 "世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見て同情しないものがあれば、 どうして神の愛がそのような者の内にどどまるでしょう。子たちよ、言葉やロ先だ けではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。"《1ヨハネ3:17・18》と語られるように具体的に歩み出す事が大切であり、動き出さないわけにはいかないはずなのです。 "最も小さい者にしたこと"と記しているように、私たちは、今生かされている世界の中で、人々との出会い中で具体的に主イエスと出会うことができるのです。 |
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