日本基督教団 西神戸教会月報
2008年4月号

                   
世があなたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい。あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から:選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである。                                                                       《ヨハネ1こよる福音書15章18・19節》

 私たちは、この世に生きるものです。それゆえにこの世の動きや価値観に振り回されて生きています。それは、私たちを生きるのにしんどいものにしてしまいます。自分という存在をありのままではなく、無理して合わせようとします。神様が与えてくださっている大切なものを見失い、受け取り損ねてしまっているのです。私たちに必要なものはそんなに多くないはずなのに、無いことに不安を覚えたり、できないことで苦しんだり、失うことを恐れたりしてしまっているのです。神様が与えてくださっているものだけでは、満足できなくなってしまっているのです。イエスは、命さえ失うことを惜しまずに神様の御心によって生きました。そのことが死をも越える恵みとして与えられました。私たちは、何'を求めて、何を望んで生きているのでしょうか。それは、この世の価値観ではないでしょうか。その望みや求めは、神様によって与えられるとは限りません。与えられない時に神様と向かい合いその中にある神様の御心を受け止めて歩むことが大切なのです。

 イエスは、世と対立した存在として自らを表しています。それは、世の求めるものや望むものが神様の思いとは遠く離れてしまっているからです。イエスが歩む道は、この世の人々が大切にしてきたもの(者・物)、大切にしているものとは正反対のものだったのです。それゆえにイエスは、命を狙われ失うことになったのです。世の宗教的指導者たちが大切にしてきた権威や規則を敢えて、無視して破り、神様の大切にしているものを示し続けたのです。彼らは、イエスの行動によって、力を失い、立場を失うことを恐れてイエスの生命を狙いました。自分たちを守るために他者を否定し、拒絶し、排除していったのです。その歩みに選ばれ、共に歩むものとされた人々は、当然イエスと同じ歩みとなって行くのです。私たちの歩みで頼るべきものは何なのでしょう。この世のものではなく、神様が与えてくださる一つ一つの恵みによって満たされて歩めれば幸いです。

 イエスは「わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである。」と言われました。そこまでの歩みを私たちはしているのでしょうか。いつもこの世を恐れ、この世と妥協し、この世に倣い、望みをおいて歩んでしまっています。イエスが私たちを選び、導き入れてくださった世界は、この世をはるかに超えたものなのです。イエスによって切り拓かれた世界を喜び楽しみ、世から解き放たれて神様の豊かさの中で歩み行きたいものです。

BACK NEXT TOP HOME