日本基督教団 西神戸教会月報
2008年7月号
日々の生.活は充実して過ごせていますか。私たちは、神様から沢山の豊かなものを与えられています。そのことに気がつく時、私たちは喜びと感謝に満ちて歩むことができるのです。しかし、その与えられているものが、自分の思いやん願いと異なる時、人は不平や不満を言い出し、互いにつぶやき合うようになっていくのです。せっかく.与えられている大切なものを受け取れない・受け止めれない悲しい人間の姿がそこにあるのです。人は、一つのものや事柄に対して様々な受け取り方ができます。神様が良いものとして与えられているものを良いものと思えない人間の我が儘な、身勝.手なあり方がそこにあるのです。今、自分にとって何をすることが大切であるのかを知るためには、神様から与えられているものや事柄をしっかりと受け入れていくことが必要なのです。 私自身も気づいてみると様々な事に出会い歩む時、いかに多くのつぶやきをなしてきたことでしょう。しかし、その事柄やもの(物・者〉が神様の.与えてくださっていることであると受けとめていける時に、様々なものから解き放たれていったのです。何に拘り、捕らわれ、何を大切にしているのでしょうか。与えられている現実を私たちのカでは変えることはできません。その現実の中で、私たちがどう生きるべきかを神様から知らされることによって、自ずと現実は動き出してくるのです。 神様の計画の中で、与えられたものの意味をしっかりと受け止めて行くことが大切なのです。神様からのプレゼントを喜んでしっかりと受け取りたいですね。 ユダヤ人たちは、イエスがこの世に神様から遣わされた方として受けとめることができずにいました。それゆえにイエスの語ること・行うことが自分たちの思いと異なる事を許すことができませんでした。互いに論じ合い・つぶやき合うのです。しかし、本質を欠いていることをいくら論じ合っても仕方ないことなのです。現実をしっかりと見つめ、その意味.を問い、受け入れていくことによって全てが良きものとして与えられるのです。神様は人を愛し、豊かなもので満たしていてくださっています。その愛を信じて、目の前の現実を歩んでいければ幸いです、,私たちは、神様によって沢山の恵みに満たされているにもかがわらず、無い物ねだりをしてはいないでしょうか。私たちの思いで選り好みしてはいないでしょうか。私たちの命は、神様からの大切なプレゼント。今の命を喜び、感謝をして過ごしていければ幸せです。どれ程多くの人に支えられ、生かされているのか。 神様の愛に感謝しましょう。 |
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