日本基督教団 西神戸教会月報
2008年9月号
どんな夏の過ごし方をされましたか。とても暑くて心も体も気候に負けてしまいそうな日々でしたねそして突然の集中豪雨に悩まされました。わたしたちの歩む人生もそんなことの繰り返しのような気がします。そんな中で何に目を向けて、何に依り頼むかで過ごし方も変わってくるのです。負けてしまいそうな時にその事柄を受け入れて、自分の歩み方をしっかりと考えて行く事はとても大切になってきます。わたしたちの歩みは、いつ何が起こるか分からないのです。そんな中で何が起こっても、その事の中で歩みゆけるカが与えられている事は幸いなことです。わたしたちは、その道を知っています。神様が与えてくださった世界の中で、神様から与えられた大切な命によって営みをなしているのです。主イエスは、「明日のことで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の労苦はその日だけで十分である。」と語られましたが、まず先の事にとらわれ考えるのではなく、与えられている今を大切に生きる道が示されているのです。 神様から与えられている命の大切さ、恵みの豊かさを知ることから始まるのです。 イエスは、ラザロの病気と死の現実の中でその受け取り方を人々に示されました。この死と病いは決して無駄なことではない事。それは「神の栄光のためである。神の.子がそれによって栄光を受けるのである。」と語り、イエスがその場に居なかったことも「わたしがその場所に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。」と語るのです。わたしたちの立場や状況や思いと神様のなさろうとしている事の違いが示されているのです。神様から見た時、とても大切な意味を持った出来事であり、イエスを責め、悲しむべき事ではないことが示されるのです。旧約聖富のコヘレトの言葉(3:1〜11)の中にも「何事にも時があり天の下の出来事にはすべて定められた時がある。…神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなされる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない。」と語られているとおりなのです。神様によって与えられている出来事をわたしたちの側からだけ見るのではなく、そこにある神様の思いと計画に心を向けて行く事が大切なのです。全く異なった歩みがそこにもたらされてくるのです。 |
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