日本基督教団 西神戸教会月報
2008年10月号

                   
真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました。彼らのために、わたしは自分自身をささげます。彼らも、真理によってささげられた者となるためです。              
                                                               《ヨハネによる福音書17章17〜19節》

  私たちが世に命を受けて生きていることには、神様の大いなる意志が働いているのです。 その思いを受け取ることが出来るか否かで、私たちの歩みは自ずと変わってきます。与えられた生命を世において神の御心として歩むことが出来るか、それとも背を向け続けて歩むのかで、世に現れ出る姿も変わってくるのです。 神様は良くも悪くも私たちを神様の意志を働かせる道具とされるのです。私たちの心の中には良い心も悪い心もあります。 それが人間の歩みです。 そのことを自覚して、悪に傾き引きずられていかないようにして行くことが大切です。 何のために今ここで生かされているのかを神様から正しく受け取っていくことによって、喜びに満たされた歩みとなっていくことが出来るのです。

 世において悪役も必要です。 神様の御心に従えず、それてしまう時、悪役として活躍してしまうのです。 それも神様の道具として用いられてしまうのです。 私たちも気をつけていないと知らない間に大悪党となってしまっているのです。 神様の愛から離れてしまうことによって、人は滅びに至るしかないのです。 何故なら、本来の生きる意味を失ってしまうからです。 神様の与えてくださる世界は、天地創造の時より素晴らしいものでありました。 しかし、人間は様々な欲望によって、その世界を壊してしまいました。 神様の御心による世界へ再生するのに必要なのは、愛以外にないのです。 イエスが自らの命を投げ出して示してくれた愛によって、生きる道が与えられたのです。 私たちの生命に大切なのは、神様の愛に満たされてこの世を生きていくことなのです。 その愛に押し出されて、この世に歩み出すことによって、神様の道具として、より良く用いられていくのです。 それは、別の世界ではなく、悪に満ちたこの世においてなしていくことに意味があるのです。

 イエスは、十字架を前にした時に、弟子たちのために祈りをしているのです。 自分のこの世における歩みを受け入れながら、最後の時に神様に祈るのです。 自分にもたらされようとする死を見つめて、その大切な役目を果たしていくのです。 後に残る弟子たちがこの世において、神様の御心を行う事ができるようにイエスは祈ってくれたのです。 その祈りに支えられて、彼らの歩みはなされていくのです。
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