日本基督教団 西神戸教会月報
2008年11月号

                   
そして、一同に言われた。「どんな貧欲にも注意を払い、用心しなさい。 有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」 
                                                                    《ルカによる福音書12章15節》

「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。 ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ。」                                                      《ルカによる福音書12章19節》

しかし、神は『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。 お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。                    《ルカによる福音書12章20節》


  私たちが生きていることには、神様の豊かな働きがあるのです。 そのことを忘れてしまって、自分のカを誇り、自分で生きているかのような思いになる時、神様は大切なことを教えてくれるのです。 私たちに与えられている物は、神様の意志に従って用いることによって豊かな実りを得るのです。 その用い方を間違ってしまうと神様の思いがこの世に伝えられなくなってしまうので、そのことをイエスは否定するのです。 神様が与えてくださる大切な命は、共に生きるために用いられていくべきものであります。 それに伴い与えられてくる物も自分だけに用いるものではなく、他と共に生きるために用いていくものなのであります。

 イエスは「食欲」に注意を払うようにと語られました。 神様から与えられた財産や富を自分だけのものにしようという欲が人間を駄目にしてしまうのです。 今の世の中は、自分の事しか考えられず、人を苦しめ落としめていく人々が増えています。 人を騙し、楽をしてお金を儲ける事ばかりを考えてしまっているのです。 食べ物をはじめとして、ありとあらゆるものが信じられない時代となってしまっているのです。 情けない話です。 全ての根本的な考え方が間違っているのです。 私たちに与えられているものは、全て神様から与えられたものなのです。 自分のためにいくら財産を貯めても何にもならないのです。 命が取り去られたら、今まで人に嫌がられせっせと貯めてきたものも無駄になるのです。 そんな悲しい生き方はないのです。 人と共に生きる喜びを知り、その豊かさの中で幸いを得ていくことが大切なのです。 私たちに与えられた財や富や働きや能力、それらはみな "共に生きる" ために与えられたものなのです。 与えられたものを互いが出し合い、カと心を合わせていく時、神様に喜ばれる世界がもたらされてくるのです。 私たちは、与えられたものをより豊かに生かす道を与えてくださった方から教えられているのです。 そのことを大切にして、意義ある生涯が送れるように「貪欲に注意を払って歩みましょう。

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