日本基督教団 西神戸教会月報
2008年12月号

                   
      「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
      その名はインマヌエルと呼ばれる。」
    この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
                                   《マタイによる福音書1章23節》

   クリスマスおめでとう!と言い合える関係作りをしていますか。 私たちは、クリスマスに何を喜び、期待しているのでしょうか? 世の人々はクリスマスが近づくとざわめきだし、浮かれた気分になって自分たちだけの喜びの為にその日を利用しています。 教会もクリスマスを利用していないでしょうか、最近よく思うことは、教会もある意味で世の人々と同じようなクリスマスの迎え方をしているのではないかと言うことです。 よく言われるのは、「教会で本当のクリスマスを」ということです。「本当のクリスマス?」そう語れるだけのクリスマスの準備をしているのでしょうか。

 世に生きる人々は、今にも子どもが産まれそうなお腹の大きな女の人が、宿る所もなく、途方に暮れている姿を見ても、誰も見向きもせず何もしてくれませんでした。 イエスは、そんな愛に欠けた暗さと冷たさの中、.馬小屋で誕生しました。 私たちは、飼い葉桶に寝かされたイエスをしっかりと抱きしめ、暖かさと明るさで包むことが求められているのです。 神様が痛みを持って、世に大切な御子を与えた大切な日。 愛が現された大切な日に喜び過ごす事が許されているのです。 神様に感謝する事を通して自らを用いて、暗き闇の世において神様の愛を現していくことができる者にされるのです。教会のクリスマスは、キリストへの心からの礼拝をする日です。 私たちが、いつも共にいてくださるイエスにより、神様が世になそうとする愛の業をなしてゆく日なのです。 教会は、クリスマスを自己満足や自己目的化のために利用してはいないでしょうか。 その日その時を喜びに満ちて感謝.し、待ち望み、心と体を神様に捧げて礼拝をなしていきたいと願っています。 神様の愛が地に満ちることを願いつつ…

 アドペントクランツのローソクの火.が増す度に、世の現.実に生きる私たちが神様の愛に立ち返り、神様の与えてくださった本来あるべき人問の姿を取り戻していくことが大切なのです。それは、「神を愛し、隣人を愛す」という姿です。 "クリスマスおめでとう!" と心から言い合える関係作りをなし、世の人々が何もなくてもただ "生かされている喜び"に満ちた時が迎えられれば幸いです。 天使の「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」との賛美が地に広がり、一人でも多くの人が本当.のクリスマスと出会えるようにと心から祈ります。 "すべての人が神様の愛と恵みに満たされて喜びのクリスマスを迎えられますように"

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