祈り年間聖句・目標
        『神を信じ、祈りを合わせ、御心を問いつつ歩む共同体〜何事にも時がある〜

「何事にも時があり
 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」 (コヘレトの言葉3章1節)

時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。 だから無分別な者とならず、主の御心が何であるか悟りなさい。」 (エフェソの信徒への手紙5章16〜17節)

 2020年度は、新型コロナウイルスの影響で、教会の本質が問われる一年となりました。
「教会とは」 「礼拝とは」 等を問い直しつつ、どんな歩みが可能なのかを考えて取り組みました。2020年度の始まりは、新型コロナウイルスの感染拡大により、非常事態宣言が発出され、全国の各学校が休校となり、仕事や日常生活も様々な規制がされ、全てのことに自粛が求められる歩みとなりました。教会では、子どもの教会の礼拝と諸集会を休会し、主日礼拝のみを行いました。礼拝の在り方も検討し、感染予防に最大限配慮し、礼拝堂での"三密"を避けるため、座席数を減らし、換気・消毒を徹底し、礼拝内容も必要なものに、絞り、時間短縮をし、礼拝を行いました。礼拝内容の変更当初は、牧師・伝道師・神学生で全てを行う予定で、各当番も廃止し、奏楽もヒムプレーヤで行いました。礼拝に来たいと望む人がいる限りは、ギリシャ語で"エクレーシア"(集い)と言われる教会(礼拝)を閉鎖することはできませんでした。義務や強制での礼拝出席ではなく、集う喜びと感謝に満ちた自主的な出席なので、それを阻むことはできません。しかし出席に関しては、自己責任とし、各自の検温や体調管理、入口での手指消毒の徹底等、十分気を付けることをお願いしました。 そして、重症化リスクのある方には出席の自粛をお願いし、そのフォローとして、各家庭で礼拝を行う助けに、遅れながらではありますが、宣教要旨・週報・月報の送付に力を注ぎました。その働きは、コロナに限らず、教会に来ることのできない方々と教会が繋がり続けていることを表すものでした。その後各当番は、出席可能な方での奉仕へと移行しました。"御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。" (テモテの手紙二4章2節) との御言葉に励まされながらの1年となりました。感染予防の為に、飲食を伴わないように祝節での祝会や総会等を短縮し、マスクを外しての飲食となる聖餐式も行いませんでした。聖餐式が行えない分、礼拝にて主イエスの十字架と復活をしっかりと心に刻み、共に歩む共同体としての意識を強めました。様々なことが行えない中、礼拝が行い続けられたことは感謝です。今、子どもの教会や諸集会が少しずつ再開されていることも更なる感謝となっています。

 そんな1年の歩みの中で、教会を支えてくださったKYさん、KKさん、EDさんが、神様のみ許に召されました。コロナ禍ということで、家族の方々との限られた葬儀となりましたが、家族の方々とゆっくりと心を込めたお別れの時ができました。教会員の方々の葬儀への出席はできませんでしたが、教会にて与えられた信仰の交わりは消え去ることがなく、それぞれの信仰生活の中で豊かに生かされていくことでしょう。 新たに与えられた2021年度、新型コロナウイルスの影響を受け続けている今、どんな1年となるかは誰にも分かりません。不安と恐れの中にある新たな1年を歩む標語として、"神を信じ、祈りを合わせ、御心を問いつつ歩む共同体〜何事にも時がある〜"にしました。「神様を信じる」「祈る」ということを大切に、どんな事、どんな時をも神様に心を向けることで新たな道が与えられると信じて歩みたいと思います。教会としての歩みが問われ、困難な状況を経験してきたからこそ、それぞれが信仰の源を見つめ直すことが必要であり、そこにこそ教会の存在意味があります。これから始まる新しい1年、喜びと感謝に満たされた日々となることを心より祈ります。
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